みなさんのファミコンにまつわる
思い出を「X」で募集。
自慢話から、残念な話まで
ファミコンにまつわる話ならなんでもOK!
投稿された武勇伝は、
ファミコン40周年特別Web番組
「ファミコントークショップ コバヤシ玩具店」で
ご紹介します。
募集は終了いたしました。
たくさんのご投稿ありがとうございました。



キャプテン翼の森崎が大好きだった私はファミコンの2で森崎を果てしないレベル上げの果てにラスボスを完封できるほどに鍛え上げました。レベル上げの過程で幾度となくゴールを割られ続けた森崎が「そうなんどもぬかれてたまるかー!」とマッハシュートを止めた時は感動でした。

昔クラスメイトが、ドラクエIII発売日におもちゃ屋さんに買いに行くと自分の目の前で締め切られ、買えなかったと残念に思っていたところ、列整理の最後の少年が一言「魂斗羅ください」と店員に伝えて、魂斗羅を買って帰っていった。その直後1本余ったドラクエIIIを買えたそうです。

小学生の頃、ロックマンボスキャラコンテストに応募したが、どれも採用されなかった
大人になった頃、ロックマン25周年でこの企画が復活した
どうしても、取りたかった私は、全てのロックマンをクリアしなおし、応募
816件の応募の最優秀賞になり、子どもの頃の夢を叶えた

ボスしりとりゲームが有名な ワギャンランド
読み方に複数の候補があると知らずに くそ真面目に対決していて
終盤パネルも少なくなり 「か」を求められた
イラストからはどれも無理、 負けと思って適当に選んだ「きゅうり」が
「かっぱのこうぶつ」と判定され そんなのアリかと驚愕


小学生の時に家庭訪問に来た先生が、この家で最後だから今話題になっているファミコンとやらをプレイさせてほしいと言うのでスーパーマリオやらいろいろなゲームを遊ばせたらハマってしまい、何時間もプレイし続け晩御飯までよばれていきました。

ファミコンを持っていなかったのに、やたら懸賞に応募してカセットを手に入れてました。 週刊少年ジャンプで 忍者ハットリくんを。 ヤマキのめんつゆで 影の伝説を。 白子のりで ラビリンスを。 そんな僕を見て父が買ってくれたツインファミコン。 最高のプレゼントでした。

人生初のRPGが『ドラえもん ギガゾンビの逆襲』でした。 当時の私には、武器を装備するという概念が無く、自分を強くするには戦闘を重ねてレベルを上げることしか出来ませんでした。その結果、ゴリゴリに鍛えた肉体だけでラスボスを撃破するに至りました。

昔ファミコンのカセットを目隠しした状態でカセットを触って何のカセットか当てる特技がありました。現在はできませんが 特徴のあるKONAMIさんやバンダイさんのソフトは当てやすかったです。ヒントでカセットの色は教えてもらってました。流石に色がわからないと当てれませんので

小学生の頃、ドラクエ3の発売日におもちゃ屋さん買いに行ったが買えなかった。そのまま帰るのも悔しかったので、ドラクエ4の予約をした。店のおばちゃんには「そんなのあるの?」と言われたが予約のノートに書いてくれた。そしてドラクエ4が発売され初日に行ったら本当に買えた!

子供の頃好きだったファミコンゲームのタイトルを社名にしたら、そのメーカーのゲームを全て引き継ぐ事になった

親戚から貰った古いカラーテレビでファミコンをしていたが壊れてカラーテレビが白黒に! 親が映るんだから我慢しなさいって居間のテレビを使わせてもらえなかった。そのころ人気のツインビーを友達から借りれたのにベルの色が分からず、滅茶苦茶早くなるだけ楽しくなかった(笑)

小学生の時、クリスマスプレゼントでトランスフォーマー コンボイの謎をもらった!朝起きたら枕元に置いてありうれしくてパジャマのまま早速ゲームをしてみると…
そのうれしさが絶望に変わった!!
あの理不尽というか意味不明の難しさは忘れられない。

ナムコ スターラスターの裏技。
Ⅱコンのマイクで 助けて〜 と叫ぶとスターノイドというお助けキャラが出現する。 当時小学生、どうしても見たくなり、毎晩叫ぶが出現しない。 後から知るがこの裏技は、energy残量10%以下が条件。そんな条件を当時小学生の僕が知る由もなく、毎晩叫ぶ。 1週間たった頃、夜になると 助けてー! という声がどことなく聞こえてくる、と近所で噂になった。ちょっとした騒ぎになりつつあったのでその日以来スターラスターは封印。 あの声の主はあたしです。ごめんなさい。

ファミコン40周年。感慨深いです。
我が家は買ってもらえなかったので当時1回5円のお駄賃のお手伝いを約3000回こなし親には秘密裏に事を進めゲットしました。
その嬉しさたるや今も忘れられずその時の本体を今も大切に保管しています。
なのでエピソードは山の様にありますw

ジャスコのおもちゃ屋さんのデモ機のファミコンでコツコツいろんな人と協力してゼルダを全クリした。
よくわからない友情も芽生えた。

「ドルアーガの塔」のソフトが買えず、憧れのあまり、先に攻略本を買った。さんざん読み込んだ挙げ句、ソフト購入時には、すべてのフロアの宝箱の出し方を暗記していた。今でもすべて覚えている。

ファミコンソフトを勝手に買ってはいけないというルールが我が家ではあったが、どうしても「くにおくん・びっくり熱血新記録」が欲しかったのでお金を貯めて買うも、友人から借りたと、嘘をつき、信憑性を持たせる為にソフト裏に〝高橋〟という架空の友人の名前を書きました。

小学校入学祝でファミコンを買いに行った時、親が「女の子向けのソフトが欲しい」と店員さんに頼んだところ、出されたのが「マイティボンジャック」と「オバケのQ太郎ワンワンパニック」でした。 2つとも激ムズソフトでした。女の子向けとは…??

ファミコンをねだる私達兄弟を諦めさせるため 「 阪神が優勝したら買ってやる」と言った虎党の父 するとその年21年ぶりに優勝! 舞い上がった父がスーパーマリオとセットで買ってきてくれました

小学生の時に家庭訪問に来た先生が、この家で最後だから今話題になっているファミコンとやらをプレイさせてほしいと言うのでスーパーマリオやらいろいろなゲームを遊ばせたらハマってしまい、何時間もプレイし続け晩御飯までよばれていきました。

ファミコンを持っていなかったのに、やたら懸賞に応募してカセットを手に入れてました。 週刊少年ジャンプで 忍者ハットリくんを。 ヤマキのめんつゆで 影の伝説を。 白子のりで ラビリンスを。 そんな僕を見て父が買ってくれたツインファミコン。 最高のプレゼントでした。

人生初のRPGが『ドラえもん ギガゾンビの逆襲』でした。 当時の私には、武器を装備するという概念が無く、自分を強くするには戦闘を重ねてレベルを上げることしか出来ませんでした。その結果、ゴリゴリに鍛えた肉体だけでラスボスを撃破するに至りました。

昔ファミコンのカセットを目隠しした状態でカセットを触って何のカセットか当てる特技がありました。現在はできませんが 特徴のあるKONAMIさんやバンダイさんのソフトは当てやすかったです。ヒントでカセットの色は教えてもらってました。流石に色がわからないと当てれませんので

小学生の頃、ドラクエ3の発売日におもちゃ屋さん買いに行ったが買えなかった。そのまま帰るのも悔しかったので、ドラクエ4の予約をした。店のおばちゃんには「そんなのあるの?」と言われたが予約のノートに書いてくれた。そしてドラクエ4が発売され初日に行ったら本当に買えた!

子供の頃好きだったファミコンゲームのタイトルを社名にしたら、そのメーカーのゲームを全て引き継ぐ事になった

親戚から貰った古いカラーテレビでファミコンをしていたが壊れてカラーテレビが白黒に! 親が映るんだから我慢しなさいって居間のテレビを使わせてもらえなかった。そのころ人気のツインビーを友達から借りれたのにベルの色が分からず、滅茶苦茶早くなるだけ楽しくなかった(笑)

小学生の時、クリスマスプレゼントでトランスフォーマー コンボイの謎をもらった!朝起きたら枕元に置いてありうれしくてパジャマのまま早速ゲームをしてみると…
そのうれしさが絶望に変わった!!
あの理不尽というか意味不明の難しさは忘れられない。

ナムコ スターラスターの裏技。
Ⅱコンのマイクで 助けて〜 と叫ぶとスターノイドというお助けキャラが出現する。 当時小学生、どうしても見たくなり、毎晩叫ぶが出現しない。 後から知るがこの裏技は、energy残量10%以下が条件。そんな条件を当時小学生の僕が知る由もなく、毎晩叫ぶ。 1週間たった頃、夜になると 助けてー! という声がどことなく聞こえてくる、と近所で噂になった。ちょっとした騒ぎになりつつあったのでその日以来スターラスターは封印。 あの声の主はあたしです。ごめんなさい。

ファミコン40周年。感慨深いです。
我が家は買ってもらえなかったので当時1回5円のお駄賃のお手伝いを約3000回こなし親には秘密裏に事を進めゲットしました。
その嬉しさたるや今も忘れられずその時の本体を今も大切に保管しています。
なのでエピソードは山の様にありますw

ジャスコのおもちゃ屋さんのデモ機のファミコンでコツコツいろんな人と協力してゼルダを全クリした。
よくわからない友情も芽生えた。

「ドルアーガの塔」のソフトが買えず、憧れのあまり、先に攻略本を買った。さんざん読み込んだ挙げ句、ソフト購入時には、すべてのフロアの宝箱の出し方を暗記していた。今でもすべて覚えている。

ファミコンソフトを勝手に買ってはいけないというルールが我が家ではあったが、どうしても「くにおくん・びっくり熱血新記録」が欲しかったのでお金を貯めて買うも、友人から借りたと、嘘をつき、信憑性を持たせる為にソフト裏に〝高橋〟という架空の友人の名前を書きました。

小学校入学祝でファミコンを買いに行った時、親が「女の子向けのソフトが欲しい」と店員さんに頼んだところ、出されたのが「マイティボンジャック」と「オバケのQ太郎ワンワンパニック」でした。 2つとも激ムズソフトでした。女の子向けとは…??

ファミコンをねだる私達兄弟を諦めさせるため 「 阪神が優勝したら買ってやる」と言った虎党の父 するとその年21年ぶりに優勝! 舞い上がった父がスーパーマリオとセットで買ってきてくれました

小学生の時に家庭訪問に来た先生が、この家で最後だから今話題になっているファミコンとやらをプレイさせてほしいと言うのでスーパーマリオやらいろいろなゲームを遊ばせたらハマってしまい、何時間もプレイし続け晩御飯までよばれていきました。

ファミコンを持っていなかったのに、やたら懸賞に応募してカセットを手に入れてました。 週刊少年ジャンプで 忍者ハットリくんを。 ヤマキのめんつゆで 影の伝説を。 白子のりで ラビリンスを。 そんな僕を見て父が買ってくれたツインファミコン。 最高のプレゼントでした。

人生初のRPGが『ドラえもん ギガゾンビの逆襲』でした。 当時の私には、武器を装備するという概念が無く、自分を強くするには戦闘を重ねてレベルを上げることしか出来ませんでした。その結果、ゴリゴリに鍛えた肉体だけでラスボスを撃破するに至りました。

昔ファミコンのカセットを目隠しした状態でカセットを触って何のカセットか当てる特技がありました。現在はできませんが 特徴のあるKONAMIさんやバンダイさんのソフトは当てやすかったです。ヒントでカセットの色は教えてもらってました。流石に色がわからないと当てれませんので

小学生の頃、ドラクエ3の発売日におもちゃ屋さん買いに行ったが買えなかった。そのまま帰るのも悔しかったので、ドラクエ4の予約をした。店のおばちゃんには「そんなのあるの?」と言われたが予約のノートに書いてくれた。そしてドラクエ4が発売され初日に行ったら本当に買えた!

子供の頃好きだったファミコンゲームのタイトルを社名にしたら、そのメーカーのゲームを全て引き継ぐ事になった

親戚から貰った古いカラーテレビでファミコンをしていたが壊れてカラーテレビが白黒に! 親が映るんだから我慢しなさいって居間のテレビを使わせてもらえなかった。そのころ人気のツインビーを友達から借りれたのにベルの色が分からず、滅茶苦茶早くなるだけ楽しくなかった(笑)

小学生の時、クリスマスプレゼントでトランスフォーマー コンボイの謎をもらった!朝起きたら枕元に置いてありうれしくてパジャマのまま早速ゲームをしてみると…
そのうれしさが絶望に変わった!!
あの理不尽というか意味不明の難しさは忘れられない。

ナムコ スターラスターの裏技。
Ⅱコンのマイクで 助けて〜 と叫ぶとスターノイドというお助けキャラが出現する。 当時小学生、どうしても見たくなり、毎晩叫ぶが出現しない。 後から知るがこの裏技は、energy残量10%以下が条件。そんな条件を当時小学生の僕が知る由もなく、毎晩叫ぶ。 1週間たった頃、夜になると 助けてー! という声がどことなく聞こえてくる、と近所で噂になった。ちょっとした騒ぎになりつつあったのでその日以来スターラスターは封印。 あの声の主はあたしです。ごめんなさい。

ファミコン40周年。感慨深いです。
我が家は買ってもらえなかったので当時1回5円のお駄賃のお手伝いを約3000回こなし親には秘密裏に事を進めゲットしました。
その嬉しさたるや今も忘れられずその時の本体を今も大切に保管しています。
なのでエピソードは山の様にありますw

ジャスコのおもちゃ屋さんのデモ機のファミコンでコツコツいろんな人と協力してゼルダを全クリした。
よくわからない友情も芽生えた。

「ドルアーガの塔」のソフトが買えず、憧れのあまり、先に攻略本を買った。さんざん読み込んだ挙げ句、ソフト購入時には、すべてのフロアの宝箱の出し方を暗記していた。今でもすべて覚えている。

ファミコンソフトを勝手に買ってはいけないというルールが我が家ではあったが、どうしても「くにおくん・びっくり熱血新記録」が欲しかったのでお金を貯めて買うも、友人から借りたと、嘘をつき、信憑性を持たせる為にソフト裏に〝高橋〟という架空の友人の名前を書きました。

小学校入学祝でファミコンを買いに行った時、親が「女の子向けのソフトが欲しい」と店員さんに頼んだところ、出されたのが「マイティボンジャック」と「オバケのQ太郎ワンワンパニック」でした。 2つとも激ムズソフトでした。女の子向けとは…??


朝4時に神妙な顔をした母に起こされ、一体何事かと思ったら、ドクターマリオのレベル20をクリアしたところを見せられた。どれだけ難しかったかを延々と語られた後、「じゃあお母さんは続きやるからまた寝ていいよ」とその場で解散。普段ゲームをしない母の執念を見せられました。

友達の家にあったファミコンのカセットに友達のではない名前が書いてあった。後々それは兄妹の名前だと知ったが、1人っ子の私は「カセットに名前をつけてるんだ」と勘違いし、自分のカセットに「はるか」「あおい」と名付けた。そのせいで3人姉妹と勘違いされていた。

失礼ながら今まで店長は苦手な芸人さんでした。でも店長としての姿を見てファミコン愛があり親しみやすく的確に人を見てる人と知れました。40周年でもファミコンを通して苦手だった人も好きになることを体現した素晴らしい番組でした。お2人がお店に居た事こそ大ヒットでした。

ファミマガのウル技大技林を毎年欠かさず買っており、友達の家に遊びに行くときは必ず持って行ってハカセポジションになっていた。暇があると何度も読み込んで、見たことも無いタイトルの裏技ばかり覚えてた

自分でプログラムを組んでゲームが遊べるファミリーベーシック。ゲーム雑誌に掲載されているプログラムを打ち込み遊んでいたのだが、保存のやり方がわからずゲームを遊ぶために毎回3時間ほどかけてプログラムを打ち込む苦行を繰り返す。後半は大分速く打ち込めるようになりました。

金持ちの友達を誕生日会に呼ぶとファミコンのカセットをプレゼントに持ってきてくれる
学年中のお誕生日会に呼ばれてた。
超絶人気者だった

ミニ四駆世代でもある私は、「レーサーミニ四駆」を買いにいつものおもちゃ屋へ行くが売り切れ、4km先のおもちゃ屋で残り一本のソフトを発見!買おうとするがその年導入された消費税(3%)分が足りずに4km往復ダッシュ!なんとか買えたのがしんどい思い出。

燃えろプロ野球で対戦をすると、珍プレーに爆笑してオナラをする友達がいた。オナラを僕が笑うと、さらに爆笑。さらにオナラも連発する始末。 そんなことが子供の頃は楽しかったなあ。
その友達は35年経った今でも親友です。

小学生の頃に、友達と「スパルタンX」のモノマネをよくやっていた。現在、それと全く同じことをハリウッドザコシショウさんがやっている。

当時家族にファミコンの知識がなく、弟とファミコンを買いに行った際、僕がグラディウスを選ぶと、弟も「僕もそれが欲しい!」言い出し、父は「ではファミコンと、コレを2つ。」と、2人に一つずつグラディウスを買ってくれました。店員さんは何も指摘してくれませんでした。

幼稚園の頃、兄と喧嘩しても4歳下で妹のわたしは体力では勝てなかったので兄のセーブデータを消していたらしい

僕はSwitch世代の15歳ですが、ファミコンが好きすぎてなんとか43タイトルかき集め、毎日夕飯後には母とツインビーで鈴を奪い合うのが日課になっていること。

ファミコンやりすぎて、親父に昔旅館にあった100円入れたら1時間テレビを見れる装置をテレビにつけられた…

ドラクエ2でラーの鏡を取った瞬間、人生で初めての鼻血を出しました。そうとう興奮したんでしょうか。初めての鼻血だったので最初鼻水かと思って手で拭いたら赤かったので「鼻血だ!」とさらにテンション上がりました。

スーパーマリオブラザーズで、動かない!と言いながら体を右に傾けていた当時60歳を過ぎていた祖母。
夢中になるあまり、クッパ戦で攻撃を避けようとジャンプボタンを押しながら、本人も正座のままジャンプ! 我が家の伝説となりました。
元気だったなぁ(笑)

スケボーに乗ってる先輩に「高橋名人」と呼んだらめちゃめちゃ怒られました。

友人から借りたソフト、箱ごと貸してくれたので遊ぶたびに箱から出し入れしてたら箱をボロボロにしてしまい、結局新しく同じソフトを買って箱を取り替えて返した。

初恋の女の子が「スパイvsスパイ」にハマっていて、毎日、学校の休み時間に攻略方法について2人で語り合っていたのが楽しい思い出です。もっとも、私はこのゲームをプレイしたことはなく、懸命に得意なフリをしてたのですが。

ドラクエ1で いのきばばつるたちようしゆうりきふじなみ(猪木馬場鶴田長州力藤波)と復活の呪文を入れると「はる6さ」の名前で最強状態でクリアできる。これでエンディングを死ぬほど観ました。

失敗談もOKと聞いて。小学生の頃「マリオオープンゴルフ」のオプション画面で、「すべてのデータをクリアしますか?」と聞かれたとき、意気込みを聞かれていると勘違いして「おう、してやるよ!」と言う気持ちでクリアを押したらデータが消えました

友達とファミコンで遊ぶとき、接触の悪いケーブルのベストポジションをキープし続けるのが一番上手く、ずっとケーブル持ちをやってました。
(今思うとやらされてたのかなー)

よくファミコンのアダプターを親父に隠されたけどいつもソファーの間に隠してるのを知ってたからこっそりゲームして、戻すときに向きやコードの巻き方をちゃんともとに戻していた。スパイのようでそれ自体も楽しんでいたしバレたことがないのが自慢!

小学校低学年の時、友達の家に行くたびに「ベースボール」を遊んでいたけど、毎回3回裏あたり門限がきてしまい最後まで遊んだ事がない。

ドラクエ3の大熱狂を経験して、ドラクエ4の発売日に午前3時から店の前に並んだら、田舎なので開店時間の9時まで自分一人だった。

「今日ウチに遊びにおいでよ!一緒にゲームやろう」て誘ってきた佐々木。 数人で家に行ったものの最初から最後まで1人で「信長の野望」やってて何のために自分ら行ったか分からんかった。

ドラクエ4のカジノで【777】が出た時に、嬉しくてカメラ撮影しました!当時はフイルムカメラ♪

接触が悪くて中々起動しないカセットがあっても、自分がファミコンに刺せば必ず起動していた。友達からは「カセット職人」と呼ばれていた。

ズボンのポケットにパスワードを書いた紙を入れたまま洗濯してしまいボロボロになったが、根性でつなぎ合わせゲームを再開できた。

父ちゃんはファミコン会社の社長でカセットは全部もってる!と嘘をついていました。ある日、友達が家にきて、まだ当時発売されていない「魔界村を貸してくれ」と言われてしまいました。焦った僕は「今は貸しててない」と言い訳し、代わりのおニャン子タウンで帰ってもらいました。

朝4時に神妙な顔をした母に起こされ、一体何事かと思ったら、ドクターマリオのレベル20をクリアしたところを見せられた。どれだけ難しかったかを延々と語られた後、「じゃあお母さんは続きやるからまた寝ていいよ」とその場で解散。普段ゲームをしない母の執念を見せられました。

友達の家にあったファミコンのカセットに友達のではない名前が書いてあった。後々それは兄妹の名前だと知ったが、1人っ子の私は「カセットに名前をつけてるんだ」と勘違いし、自分のカセットに「はるか」「あおい」と名付けた。そのせいで3人姉妹と勘違いされていた。

失礼ながら今まで店長は苦手な芸人さんでした。でも店長としての姿を見てファミコン愛があり親しみやすく的確に人を見てる人と知れました。40周年でもファミコンを通して苦手だった人も好きになることを体現した素晴らしい番組でした。お2人がお店に居た事こそ大ヒットでした。

ファミマガのウル技大技林を毎年欠かさず買っており、友達の家に遊びに行くときは必ず持って行ってハカセポジションになっていた。暇があると何度も読み込んで、見たことも無いタイトルの裏技ばかり覚えてた

自分でプログラムを組んでゲームが遊べるファミリーベーシック。ゲーム雑誌に掲載されているプログラムを打ち込み遊んでいたのだが、保存のやり方がわからずゲームを遊ぶために毎回3時間ほどかけてプログラムを打ち込む苦行を繰り返す。後半は大分速く打ち込めるようになりました。

金持ちの友達を誕生日会に呼ぶとファミコンのカセットをプレゼントに持ってきてくれる
学年中のお誕生日会に呼ばれてた。
超絶人気者だった

ミニ四駆世代でもある私は、「レーサーミニ四駆」を買いにいつものおもちゃ屋へ行くが売り切れ、4km先のおもちゃ屋で残り一本のソフトを発見!買おうとするがその年導入された消費税(3%)分が足りずに4km往復ダッシュ!なんとか買えたのがしんどい思い出。

燃えろプロ野球で対戦をすると、珍プレーに爆笑してオナラをする友達がいた。オナラを僕が笑うと、さらに爆笑。さらにオナラも連発する始末。 そんなことが子供の頃は楽しかったなあ。
その友達は35年経った今でも親友です。

小学生の頃に、友達と「スパルタンX」のモノマネをよくやっていた。現在、それと全く同じことをハリウッドザコシショウさんがやっている。

当時家族にファミコンの知識がなく、弟とファミコンを買いに行った際、僕がグラディウスを選ぶと、弟も「僕もそれが欲しい!」言い出し、父は「ではファミコンと、コレを2つ。」と、2人に一つずつグラディウスを買ってくれました。店員さんは何も指摘してくれませんでした。

幼稚園の頃、兄と喧嘩しても4歳下で妹のわたしは体力では勝てなかったので兄のセーブデータを消していたらしい

僕はSwitch世代の15歳ですが、ファミコンが好きすぎてなんとか43タイトルかき集め、毎日夕飯後には母とツインビーで鈴を奪い合うのが日課になっていること。

ファミコンやりすぎて、親父に昔旅館にあった100円入れたら1時間テレビを見れる装置をテレビにつけられた…

ドラクエ2でラーの鏡を取った瞬間、人生で初めての鼻血を出しました。そうとう興奮したんでしょうか。初めての鼻血だったので最初鼻水かと思って手で拭いたら赤かったので「鼻血だ!」とさらにテンション上がりました。

スーパーマリオブラザーズで、動かない!と言いながら体を右に傾けていた当時60歳を過ぎていた祖母。
夢中になるあまり、クッパ戦で攻撃を避けようとジャンプボタンを押しながら、本人も正座のままジャンプ! 我が家の伝説となりました。
元気だったなぁ(笑)

スケボーに乗ってる先輩に「高橋名人」と呼んだらめちゃめちゃ怒られました。

友人から借りたソフト、箱ごと貸してくれたので遊ぶたびに箱から出し入れしてたら箱をボロボロにしてしまい、結局新しく同じソフトを買って箱を取り替えて返した。

初恋の女の子が「スパイvsスパイ」にハマっていて、毎日、学校の休み時間に攻略方法について2人で語り合っていたのが楽しい思い出です。もっとも、私はこのゲームをプレイしたことはなく、懸命に得意なフリをしてたのですが。

ドラクエ1で いのきばばつるたちようしゆうりきふじなみ(猪木馬場鶴田長州力藤波)と復活の呪文を入れると「はる6さ」の名前で最強状態でクリアできる。これでエンディングを死ぬほど観ました。

失敗談もOKと聞いて。小学生の頃「マリオオープンゴルフ」のオプション画面で、「すべてのデータをクリアしますか?」と聞かれたとき、意気込みを聞かれていると勘違いして「おう、してやるよ!」と言う気持ちでクリアを押したらデータが消えました

友達とファミコンで遊ぶとき、接触の悪いケーブルのベストポジションをキープし続けるのが一番上手く、ずっとケーブル持ちをやってました。
(今思うとやらされてたのかなー)

よくファミコンのアダプターを親父に隠されたけどいつもソファーの間に隠してるのを知ってたからこっそりゲームして、戻すときに向きやコードの巻き方をちゃんともとに戻していた。スパイのようでそれ自体も楽しんでいたしバレたことがないのが自慢!

小学校低学年の時、友達の家に行くたびに「ベースボール」を遊んでいたけど、毎回3回裏あたり門限がきてしまい最後まで遊んだ事がない。

ドラクエ3の大熱狂を経験して、ドラクエ4の発売日に午前3時から店の前に並んだら、田舎なので開店時間の9時まで自分一人だった。

「今日ウチに遊びにおいでよ!一緒にゲームやろう」て誘ってきた佐々木。 数人で家に行ったものの最初から最後まで1人で「信長の野望」やってて何のために自分ら行ったか分からんかった。

ドラクエ4のカジノで【777】が出た時に、嬉しくてカメラ撮影しました!当時はフイルムカメラ♪

接触が悪くて中々起動しないカセットがあっても、自分がファミコンに刺せば必ず起動していた。友達からは「カセット職人」と呼ばれていた。

ズボンのポケットにパスワードを書いた紙を入れたまま洗濯してしまいボロボロになったが、根性でつなぎ合わせゲームを再開できた。

父ちゃんはファミコン会社の社長でカセットは全部もってる!と嘘をついていました。ある日、友達が家にきて、まだ当時発売されていない「魔界村を貸してくれ」と言われてしまいました。焦った僕は「今は貸しててない」と言い訳し、代わりのおニャン子タウンで帰ってもらいました。

朝4時に神妙な顔をした母に起こされ、一体何事かと思ったら、ドクターマリオのレベル20をクリアしたところを見せられた。どれだけ難しかったかを延々と語られた後、「じゃあお母さんは続きやるからまた寝ていいよ」とその場で解散。普段ゲームをしない母の執念を見せられました。

友達の家にあったファミコンのカセットに友達のではない名前が書いてあった。後々それは兄妹の名前だと知ったが、1人っ子の私は「カセットに名前をつけてるんだ」と勘違いし、自分のカセットに「はるか」「あおい」と名付けた。そのせいで3人姉妹と勘違いされていた。

失礼ながら今まで店長は苦手な芸人さんでした。でも店長としての姿を見てファミコン愛があり親しみやすく的確に人を見てる人と知れました。40周年でもファミコンを通して苦手だった人も好きになることを体現した素晴らしい番組でした。お2人がお店に居た事こそ大ヒットでした。

ファミマガのウル技大技林を毎年欠かさず買っており、友達の家に遊びに行くときは必ず持って行ってハカセポジションになっていた。暇があると何度も読み込んで、見たことも無いタイトルの裏技ばかり覚えてた

自分でプログラムを組んでゲームが遊べるファミリーベーシック。ゲーム雑誌に掲載されているプログラムを打ち込み遊んでいたのだが、保存のやり方がわからずゲームを遊ぶために毎回3時間ほどかけてプログラムを打ち込む苦行を繰り返す。後半は大分速く打ち込めるようになりました。

金持ちの友達を誕生日会に呼ぶとファミコンのカセットをプレゼントに持ってきてくれる
学年中のお誕生日会に呼ばれてた。
超絶人気者だった

ミニ四駆世代でもある私は、「レーサーミニ四駆」を買いにいつものおもちゃ屋へ行くが売り切れ、4km先のおもちゃ屋で残り一本のソフトを発見!買おうとするがその年導入された消費税(3%)分が足りずに4km往復ダッシュ!なんとか買えたのがしんどい思い出。

燃えろプロ野球で対戦をすると、珍プレーに爆笑してオナラをする友達がいた。オナラを僕が笑うと、さらに爆笑。さらにオナラも連発する始末。 そんなことが子供の頃は楽しかったなあ。
その友達は35年経った今でも親友です。

小学生の頃に、友達と「スパルタンX」のモノマネをよくやっていた。現在、それと全く同じことをハリウッドザコシショウさんがやっている。

当時家族にファミコンの知識がなく、弟とファミコンを買いに行った際、僕がグラディウスを選ぶと、弟も「僕もそれが欲しい!」言い出し、父は「ではファミコンと、コレを2つ。」と、2人に一つずつグラディウスを買ってくれました。店員さんは何も指摘してくれませんでした。

幼稚園の頃、兄と喧嘩しても4歳下で妹のわたしは体力では勝てなかったので兄のセーブデータを消していたらしい

僕はSwitch世代の15歳ですが、ファミコンが好きすぎてなんとか43タイトルかき集め、毎日夕飯後には母とツインビーで鈴を奪い合うのが日課になっていること。

ファミコンやりすぎて、親父に昔旅館にあった100円入れたら1時間テレビを見れる装置をテレビにつけられた…

ドラクエ2でラーの鏡を取った瞬間、人生で初めての鼻血を出しました。そうとう興奮したんでしょうか。初めての鼻血だったので最初鼻水かと思って手で拭いたら赤かったので「鼻血だ!」とさらにテンション上がりました。

スーパーマリオブラザーズで、動かない!と言いながら体を右に傾けていた当時60歳を過ぎていた祖母。
夢中になるあまり、クッパ戦で攻撃を避けようとジャンプボタンを押しながら、本人も正座のままジャンプ! 我が家の伝説となりました。
元気だったなぁ(笑)

スケボーに乗ってる先輩に「高橋名人」と呼んだらめちゃめちゃ怒られました。

友人から借りたソフト、箱ごと貸してくれたので遊ぶたびに箱から出し入れしてたら箱をボロボロにしてしまい、結局新しく同じソフトを買って箱を取り替えて返した。

初恋の女の子が「スパイvsスパイ」にハマっていて、毎日、学校の休み時間に攻略方法について2人で語り合っていたのが楽しい思い出です。もっとも、私はこのゲームをプレイしたことはなく、懸命に得意なフリをしてたのですが。

ドラクエ1で いのきばばつるたちようしゆうりきふじなみ(猪木馬場鶴田長州力藤波)と復活の呪文を入れると「はる6さ」の名前で最強状態でクリアできる。これでエンディングを死ぬほど観ました。

失敗談もOKと聞いて。小学生の頃「マリオオープンゴルフ」のオプション画面で、「すべてのデータをクリアしますか?」と聞かれたとき、意気込みを聞かれていると勘違いして「おう、してやるよ!」と言う気持ちでクリアを押したらデータが消えました

友達とファミコンで遊ぶとき、接触の悪いケーブルのベストポジションをキープし続けるのが一番上手く、ずっとケーブル持ちをやってました。
(今思うとやらされてたのかなー)

よくファミコンのアダプターを親父に隠されたけどいつもソファーの間に隠してるのを知ってたからこっそりゲームして、戻すときに向きやコードの巻き方をちゃんともとに戻していた。スパイのようでそれ自体も楽しんでいたしバレたことがないのが自慢!

小学校低学年の時、友達の家に行くたびに「ベースボール」を遊んでいたけど、毎回3回裏あたり門限がきてしまい最後まで遊んだ事がない。

ドラクエ3の大熱狂を経験して、ドラクエ4の発売日に午前3時から店の前に並んだら、田舎なので開店時間の9時まで自分一人だった。

「今日ウチに遊びにおいでよ!一緒にゲームやろう」て誘ってきた佐々木。 数人で家に行ったものの最初から最後まで1人で「信長の野望」やってて何のために自分ら行ったか分からんかった。

ドラクエ4のカジノで【777】が出た時に、嬉しくてカメラ撮影しました!当時はフイルムカメラ♪

接触が悪くて中々起動しないカセットがあっても、自分がファミコンに刺せば必ず起動していた。友達からは「カセット職人」と呼ばれていた。

ズボンのポケットにパスワードを書いた紙を入れたまま洗濯してしまいボロボロになったが、根性でつなぎ合わせゲームを再開できた。

父ちゃんはファミコン会社の社長でカセットは全部もってる!と嘘をついていました。ある日、友達が家にきて、まだ当時発売されていない「魔界村を貸してくれ」と言われてしまいました。焦った僕は「今は貸しててない」と言い訳し、代わりのおニャン子タウンで帰ってもらいました。

※募集は終了いたしました。
たくさんのご投稿ありがとうございました。
任天堂株式会社およびWeb番組制作会社(以下「当社等」といいます)は、「ファミコン武勇伝」の投稿募集型企画(以下「本件企画」といいます)にご参加いただける方を募集いたします。以下の応募規約(以下「本規約」といいます)を必ずお読みいただき、同意の上でご応募ください。
本規約は予告なしに変更することがありますので、ご応募の都度ご確認ください。
※2023年9月21日「Twitter」を「X」に変更しました。
※2024年3月28日 募集を終了する日時を追記しました。注意事項[その他]の項目を1つ追加しました。
「ファミリーコンピュータ」本体とそのソフトにまつわる武勇伝(思い出)を、「X(旧Twitter)」上で募集します。投稿された武勇伝を当社等で選考し、任天堂公式WEB番組「ファミコントークショップ コバヤシ玩具店」および、キャンペーンホームページの中で紹介させていただきます。
https://www.nintendo.com/jp/famicom/buyuden/
STEP1:ファミコン40周年キャンペーン(@famicom40th)の「公式Xアカウント」をフォロー
STEP2:ハッシュタグ「#ファミコン武勇伝」を付けて、武勇伝の内容を「X」に投稿
- 募集期間内であれば、おひとり様何件でも応募できます。
- 長文の場合は、スレッド形式での投稿にしていただいて構いません。
ハッシュタグが1つの投稿に付いていれば、一連の投稿とみなします。 - 画像や映像のついた投稿は、Web番組では紹介できませんのでご注意ください。
2023年7月15日(土)午前10時00分 〜 2024年3月31日(日)午後11時59分
Web番組「ファミコントークショップ コバヤシ玩具店」で紹介させていただいた方に、記念品をお送りいたします。
※記念品の送付についての連絡は、「X」のダイレクトメッセージで行います。
- 応募は、ご自身の「Xアカウント」を保有する、日本国内在住の方を対象とします。
- 未成年者が応募される場合、保護者の同意を得て、保護者の「Xアカウント」または13歳以上で「Xアカウント」をお持ちであればご自身のアカウントから応募ください。
- 「Xアカウント」の公開設定が「非公開」の場合は対象となりません。
- 応募後の「Xアカウント」の削除や投稿の削除は応募のキャンセルとみなします。
- 「ファミコン40周年キャンペーン公式Xアカウント」のフォローを解除した場合は応募のキャンセルとみなします。
- 「X」の利用規約を遵守いただき応募ください。
[Web番組への採用について]
- 応募資格を満たした投稿の中から、Web番組で紹介するものを当社等が決定します。
- 投稿をWeb番組で紹介させていただいたアカウントには、記念品送付先の確認のため、「ファミコン40周年公式Xアカウント(@famicom40th)」よりダイレクトメッセージでご連絡させていただきます。
- ダイレクトメッセージでの連絡ができない場合や、連絡メッセージに記載した期限までにお返事をいただけない場合は、記念品の受け取りを辞退したものとして判断いたします。
- 番組への投稿の採否に関する問い合わせにはお答えできません。
[記念品の発送について]
- 記念品のお届け先は、日本国内に限ります。
- 配送時に生じた、いかなる損害に関しても、当社等に故意または重大な過失がある場合を除き、当社等は一切の責任を負いません。
- 個人情報は発送のためにのみ利用し、作業終了後は責任を持ってすみやかに廃棄させていただきます。
- 当社等の個人情報の取扱については、「任天堂ウェブサイトポリシー」をご確認ください。
[禁止行為について]
- 「X」の利用規約に違反する行為。
- 法令に違反する行為および違反する行為を幇助(ほうじょ)・勧誘・強制・助長する行為。
- 選挙の事前運動、選挙運動またはこれらに類似する行為、および公職選挙法に抵触する行為。
- 他人の名誉、社会的信用、プライバシー、肖像権、パブリシティ権、著作権その他の知的財産権、その他の権利を侵害する行為(法令で定めたものおよび判例上認められたものすべてを含む)。
- 第三者への中傷、脅迫、いやがらせに該当する行為。
- 事務局の許諾を得ない売買行為、オークション行為、金銭支払やその他の類似行為。
- 事務局の許諾を得ない商品やサービスの広告、宣伝を目的としたプロフィール内容の公開、その他スパムメール、チェーンメール等の勧誘を目的とする行為。
- 他人の名義、その他会社等の組織名を名乗ることなどによる、なりすまし行為。
- 公序良俗、一般常識に反する行為。
- その他、運営事務局が不適切だと判断した行為。
本応募規約に違反していると運営事務局が判断した場合は、予告なしに応募や副賞の送付を無効とさせていただく場合があります。
[本件企画の運営方法について]
- 本件企画の内容や条件は予告なく変更する場合があります。当社等は、必要と判断した場合は、事前の通知なく本規約を自由に変更できるものとします。
- お客様は本件企画に応募するにあたり、当社等の運営方法(本件企画での投稿内容の使用方法も含む)に従うものとし、その運営方法について一切異議を申し立てないものとします。
[賠償責任]
- 本件企画に関し、お客様が本規約に違反し、または不正もしくは違法な行為により、当社等または第三者に損害を与えた場合、お客様はその損害を賠償するものとします。
- 本件企画に関し、お客様と第三者との間に紛争が生じた場合、お客様は自らの責任と費用負担によりその紛争を解決し、当社等は一切の責任を負いません。
[免責事項]
本件企画に関連して発生したお客様または第三者の損害、またはシステム不良により生じる損害について当社等に故意、または重大な過失がない限り、当社等は一切の責任を負いません。
また、お客様が本規約に違反していると事務局が判断した場合、アカウントのブロック、本件企画における投稿内容の削除等、必要と判断する措置を取ることができるものとし、これによりお客様が被った損害について、当社等は一切の責任を負いません。
[その他]
- 本件企画の運営は当社等が行います。「X」および「X社」とは一切関係ありません。
- 「X」をご利用の際は、本利用規約の他、「X」が定める規則を遵守してください。
- 本件企画において応募いただいた投稿内容については、本件企画以外の任天堂株式会社のサービスにおいて利用させていただく場合があります。