「ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータ」発売記念インタビュー 第1回「ドンキーコング篇」

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みなさん、ファミコンニチハ! 京都在住ライターの左尾昭典です。
って、いきなり力が抜けてしまいそうな挨拶からはじまってごめんなさい。けど、それくらいうれしいんです。だって、ファミコン誕生から33年、ファミコン生産終了から13年もたった2016年に、ファミコンという歴史的なゲーム機が「ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータ」として大復活するんですよ! 一足お先に実物を触ってみたのですが、
想像していたよりもちっちゃくて、思わず「かわいい」とつぶやいちゃいました。

さて、そんな「ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータ」の発売を記念して、任天堂タイトルの開発者インタビューを行うことになりました。第1回目のテーマは『ドンキーコング』。もちろん話してくださるのは、任天堂の代表取締役クリエイティブフェローの宮本茂さんです。

ちなみに、『ドンキーコング』の開発秘話については、数年前に公開された社長が訊く『New スーパーマリオブラザーズ Wii』その1でたっぷり語られていますので、なぜマリオがジャンプをすることになったのか、どうしてマリオはオーバーオールを着ているのか、といった話に興味のある方は、併せてお読みいただけるとうれしいです。

それでは、宮本さん、よろしくお願いいたします。

第1回

ドンキーコング篇

裸の基板からはじまった

「クラシックミニ」は、本当にかわいいですよね。

宮本

ありがとうございます。ちっちゃいから手のひらに乗せたくなるでしょう。

はい(笑)。ただ正式名称が「ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータ」って、ちょっと長いかなとは思いましたけど(笑)。

宮本

なので、国内で発売するほうを「クラシックミニのファミコン」、海外で出すほうは「クラシックミニのNES(※1)」と、短めに言うようにしています。

※1 NES=Nintendo Entertainment Systemの略。ファミコンの海外版の名称。

この「クラシックミニ」の企画開発に、宮本さんは関わっていたんですか?

宮本

直接は関わっていないんですけど、開発の途中で何度もチェックをしていました。最初に見たときは裸の基板だけだったんです。

裸の基板だけですか? つまり、最初はファミコンやNESの形にすることを考えていなかったんですね。

宮本

ええ。ひとつの基板があれば何十本かのファミコンソフトが遊べるということでしたので、最初は「こんなもの、いまさらやるの?」という感じからはじまったんです。

ファミコンソフトはWii Uやニンテンドー3DSのバーチャルコンソールでも遊ぶことができますしね。

宮本

そうなんです。で、この企画はもともとフランスのNERD(※2)からはじまったんですけど、せっかく出すのならファンアイテムとして、NESの形をそのまま再現しようということになったんです。

※2 NERD=Nintendo European Research and Development。フランスのパリにある任天堂の開発子会社。

なるほど。

宮本

で、「クラシックミニのNES」のサンプルができあがると、それを見た国内の営業から「ファミコンも欲しい」という話になったんですね。

その営業さんの気持ち、すごくわかります(笑)。

宮本

ですよね(笑)。そこで製品化するにあたっては、実際にファミコンのほうも試作品があったほうがプレゼンしやすいだろうという話になったんですけど、たまたま僕の部屋にファミコン型のアラームクロックがあったんです。ずいぶん昔のライセンス商品なので、かなり黄ばんでるんですけどね(笑)。

はい(笑)。

宮本

それって、想定していた「クラシックミニ」のサイズよりは小さかったんですけど、クラシックミニの関係者が「貸してほしい」というので渡したら、しばらくの間、その黄ばんだファミコンが社内プレゼンに使われていたんです。

その黄ばんだファミコンを見て、製品化することが正式に決まったんですね。

宮本

そうです。時間がたってから、今回の「クラシックミニ」の実物があがってきたんです。で、さっきの話にもあったように、ファミコンソフトはバーチャルコンソールで遊べますけど、Wii Uやニンテンドー3DSを持っていなくても、「クラシックミニ」があれば、テレビに簡単につないで遊ぶことができますし、かわいいデザインで思い出を形にした商品ができたと思っています。

ファミコン初期に7本のタイトルを

さて、ファミコンと同時に発売された『ドンキーコング』についてお聞きしたいのですが、アーケード版のほうは今年で35周年ですね。

宮本

言われてみれば・・・(笑)。

アーケード版が登場して2年後にファミコン版が出たわけですけど、ファミコンに移植するにあたって、宮本さんは関わったんですか?

宮本

いえ、『マリオブラザーズ』(※3)もそうなんですけど、アーケードゲームのファミコンへの移植は別のチームに任せていました。僕はファミコンを立ち上げるために、ソフトラインナップをそろえる仕事をしていたんです。

※3 『マリオブラザーズ』=アーケード版・ファミコン版、ともに1983年に発売されたアクションゲーム。

ファミコンと同時に発売されたのは『ドンキーコング』と『ドンキーコングJR.』、そして『ポパイ』(※4)の3本でしたね。

※4 『ドンキーコングJR.』、そして『ポパイ』=両タイトルともに、1982年に登場したアーケードゲーム。

宮本

そうです。でも、ファミコン発売の早い段階で、7本つくろうという話をしていたんですね。というのも、カセット式と言ってるのに、7本くらい遊べないと格好がつかないでしょ?

たしかに(笑)。

宮本

そこで僕は、『ベースボール』(※5)は絶対につくりたいと思って、そのほかにも『テニス』や『ゴルフ』(※6)などのゲームにも関わったりしていたんです。

※5 『ベースボール』=1983年12月に、ファミコン用ソフトとして発売されたスポーツゲーム。

※6 『ゴルフ』や『テニス』=『テニス』は1984年1月、『ゴルフ』は1984年5月に、ファミコン用ソフトとして発売されたスポーツゲーム。

そのような初期のファミコンタイトルに、宮本さんは100パーセント関わっていたわけではないんですよね?

宮本

そうですね。でも、タイトルの80パーセントくらいは、僕が直接、キャラクターデザインやゲームデザインで担当していたんです。

そうだったんですね。

宮本

ハードウェアでは、たとえばファミコンでは64色しか使えなかったので、それぞれのタイトルで、どの色を指定するかとか、そんなデザインまわりの仕様の仕事も、当時はやっていたんですね。

「アメリカで売るためにつくった」

『ドンキーコング』の話に戻ります。宮本さんはアーケード版をつくるとき、開発に集中するために、友だちとのつきあいを一切断ったそうですね。

宮本

そんなに大げさな話でもないんです(笑)。数人の友だちに電話をかけて、「2、3か月は連絡をとらないと思うけど・・・」という話をわざわざしましたね。

『ドンキーコング』は2、3か月でつくったんですか?

宮本

あの当時のゲームは3か月でつくっていたんです。でも、『ドンキーコング』はちょっと時間がかかって、4、5か月でつくったと思います。

それでも早いですけど、その間、宮本さんは開発にどっぷり浸かっていたんですね。

宮本

あの当時住んでいた社宅が、川をはさんで近くにあったんです。だから、会社と社宅を往復するだけの毎日で・・・。で、ありがたいことに、会社にお風呂があったんです。

任天堂にお風呂があったんですか?

宮本

ええ。当時の本社は鳥羽街道にあって、花札工場もあったんですね。で、花札をつくるのにボイラーがいるので、そこで沸かしたお湯をお風呂にも使っていたんです。花札工場で働く人たちは、仕事が終わってから、そのお風呂で汗を流していたんですけど、夜は誰もいないのでゆっくりと利用させてもらっていたんです。

そのお風呂のおかげで、汗臭くならずにすんだんですね(笑)。

宮本

ええ。すごく助かりました。アイデアをまとめるのに有効でした(笑)。

で、その『ドンキーコング』の開発で、いちばん意識したのはどんなことだったんですか?

宮本

アメリカで売るためにつくった、ということが、僕らにとってはすごく大きなことでしたね。

もともと『ドンキーコング』を開発することになったのは、アメリカで発売したアーケードゲームが大量に売れ残り、それをなんとかしなきゃということが、キッカケなんですよね。

宮本

あはは、大量にですね。新しいゲームをつくって、プログラムだけを差し替えれば、アーケードゲームの基板も筐体もそのまま使えるわけですからね。で、最近は商品を開発するとき、「グローバリズムが大事だ」とか「ワールドワイドで考えろ」とか言ったりするじゃないですか。

はい。

宮本

でも、特別にそういうことを考えなくても、自然とそうなったんです。

もともとアメリカで売るためにつくったわけですから、その時点でワールドワイドで考えていたということなんですね。

宮本

そうなんです。だから『ドンキーコング』のあとも、商品は日本でつくってるけど、日本人はもちろん、アメリカやヨーロッパなど世界中の人たちに楽しんでもらえることを前提に、さまざまなクリエイティブを続けることができたんです。

つまり、最初につくった『ドンキーコング』が、アメリカ向けだった、ということが、宮本さんにとってもすごく大きなことだったと。

宮本

そうです。僕がグローバルを意識する出発点になったのが『ドンキーコング』なんです。それ以来、徐々に世界に向けてつくることを続けてきたからこそ、オリンピックの閉会式にマリオがいきなり登場しても、世界中の人たちにわかってもらえる存在になったと思うんです。

レディが「海藻、海藻」と叫ぶ?

ちなみに『ドンキーコング』のマリオは、少ないドット数で表現するために、ヒゲをつけたり、帽子をかぶらせた、という話でしたね。

宮本

はい。

そのとき、ヒゲのオヤジを主人公にすることには、迷いはなかったんですか?

宮本

僕にとってはオヤジというより、24歳とか26歳くらいのお兄ちゃんという感じなんです。マリオが飼っているドンキーコングが、彼女を連れて逃げ出してしまうというお話なので、どっちかというとお兄ちゃんなんですよ、独身の。けど、おじさんと言われることも多くて、40歳くらいに見られてしまうこともあるんですよね(笑)。

(笑)。そのマリオは、「ミスター・ビデオ」とか「ジャンプマン」と呼ばれていた時期もあったわけですよね。

宮本

そうですね。ところがNOA(Nintendo of America)の倉庫兼社宅の管理人がマリオという人で、その人に似てるからというので、マリオという名前になったんですね。

やっぱりアメリカ向けにつくったゲームなので、NOAの意見を尊重するようなところがあったんですね。

宮本

そうですね。いろんな意見を聞くようにしていました。けど、すべてがそうではないんです。たとえばタイトルも、「間抜けなゴリラ」をイメージするようなネーミングにしようということで、『ドンキーコング』にしたんです。「ドンキー」はもともと「ロバ」の意味ですけど、辞書を引いてみると、「とんま」という意味もあったんですね。そこでNOAに提案したところ、ダメだと言われたんです。彼らが言うにはドンキーには「とんま」の意味はないと言うんです。

辞書には書いてあるのに(笑)。

宮本

不思議ですよね(笑)。それで、「ロバのコング」というタイトルの意味がわからないと言われたんです。でも語感もいいですし、そのまま『ドンキーコング』で押し切ることにしたんです。すると1年後には、みんなが何の疑問も持たずに『ドンキーコング』と言ってるわけで、ネーミングって慣れたら何でもOKなんだなあと思いましたね。とにかくインパクトが大事だと思うようになって、そういう考えになったのも『ドンキーコング』がキッカケなんですね。

アメリカ向けにつくったということで、他にはどんなエピソードがありますか?

宮本

ドンキーコングに連れ去られるレディは最初、「ヘルプ!」って叫んでたんです。

レディがしゃべってたんですか?

宮本

「ヘルプ!ヘルプ!」って叫んだり、マリオが上手に跳ぶと「ナイス!」と言って、ほめてくれていたんです。ところが「発音がおかしいかも?」という声が社内から出てきたので、試しにネイティブの英会話の教師に聴いてもらったんです。そしたら「海藻、海藻」って言ってると・・・。

海に生えてる「海藻」ですか?

宮本

そうです。「ケルプ(KELP)」と聞こえるというんです。

ああ、なるほど(笑)。「ヘルプ」が「ケルプ」に聞こえたんですね。

宮本

そこで、その時点では直しようがなかったので、声を出すのをやめて、「HELP!」はドンキーコングの鳴き声にして(※7)、ナイスは「ピロポポンポン♪」という音に変えたんです。この「ピロポポンポン♪」にしたのがすごくよかったんです。

※7 声を出すのをやめて、「HELP!」はドンキーコングの鳴き声にして=ファミコン版では、この仕様は割愛されています。

それはどうしてですか?

宮本

ゲームセンターの表を歩いていると、「ピロポポンポン♪」という音がすごくキャッチーになったんです。

楽しげな音なので、お客さんを呼び込むための音になったんですね。

宮本

そうなんです。だから、声でやろうとしていたことはダメにはなりましたけど、結果的にはよかったんですね。そういう経験もあったので、効果音を大事にするということが、自分の手法のひとつになっていったんですね。

つまり『ドンキーコング』は、宮本さんのクリエイティブの原点でもあるタイトルなんですね。

宮本

そうですね。

「これは、いけるかもわからん」

そんなふうにつくられて、世界中で大ヒットした『ドンキーコング』ですが、宮本さんはどのタイミングで手ごたえを感じたんですか?

宮本

モニターです。宇治工場にテストをする人たちがいるんですけど、就業時間が終わっても、『ドンキーコング』で遊んでいてなかなか帰ってくれなかったんです(笑)。

モニターの方々も熱中していたんですね。

宮本

そうなんです。当時はテーブル型でテストしていたと思いますが、おもしろいゲームというのは、スティックを持つ手が滑るんです。遊んでる最中にズルッと(笑)。シューティングゲームを遊んでいるとズルッとなることが多くて、『ドンキーコング』で遊んでいる人もズルッとなっていたんです。その姿を見て、「おっ、これは、いけるかもわからん」と。

宮本さんは昔から、おもしろいゲームは遊ぶ人の後ろ姿を見ればわかる、ということを言ってますよね。

宮本

そうですね。おもしろいゲームを遊んでいると身体が大きく揺れるんです。そのときの手ごたえが基準になっているので、『スーパーマリオブラザーズ』(※8)ができたときも、モニターに遊んでもらった反応が、『ドンキーコング』にすごく似ていたんです。それで手塚(卓志)に、「これは、もしかしたらとんでもないことが起こるかもしれんよ」って言ったんです。

※8 『スーパーマリオブラザーズ』=1985年9月に、ファミコン用ソフトとして発売されたアクションゲーム。

さて、その『ドンキーコング』はファミコンに移植され、それを触ったとき、オリジナルをつくった宮本さんとしては、どんなことを感じましたか?

宮本

縦横がえらい平べったいなあと。

(笑)。アーケードゲームのモニターは縦ですけど、テレビ画面では横になるわけですからね。

宮本

そうですね。それと、大きな違いを感じたのは、ドンキーコングの色数なんです。アーケード版では4色を使って描いているんですけど、ファミコン版は3色だったんです。

どうして4色が3色になったんですか?

アーケード版では3色のパネルを2枚組み合わせて描いてたんですけど、ファミコンでは技術的にできなかったんです。それがすごく残念で・・・。というのも、ドンキーコングの手が胸のあたりにくると、色が重なって見えなくなってしまうんです。

ああ、なるほど。

宮本

ただ、アーケードゲームが家庭でも遊べるようになったわけで、それはすごいことなんですけどね。

そうですよね。ところで・・・(モニターに映った『ドンキーコング』の映像を見て)「クラシックミニ」の画面はすごくキレイですよね。

宮本

そうですね。「クラシックミニ」では3つの画面モード(※9)から選ぶことができて、ピクセルパーフェクトモードにするとくっきり映るんですけど、自分でもビックリしたくらいです。あの当時、こんなにちゃんと描いてたんだって(笑)。

※9 3つの画面モード=標準的な画面比率4:3の「4:3」、1ピクセルを正方形で描画する「ピクセルパーフェクト」、昔のブラウン管テレビのような画面表示を再現する「アナログテレビ」のモードがある。

あははは(笑)。それでは最後の質問です。『ドンキーコング』の完成から35年たって、いまのお客さんたちにどんなふうに楽しんでほしいですか?

宮本

いまのゲームと比べると、すごく硬いというか、ひっついてるというか・・・ぬめぬめと動かないので・・・。

アニメーションの数が少ないんですね。

宮本

なので、最新のゲームと比べると、質感がすごく違うと思います。けど、攻略のしかたとかもすごくわかりやすいゲームなので、ぜひ1回遊んでみてください。

『ドンキーコング』は、マリオがはじめてジャンプした画期的なゲームでもありますしね。

宮本

そうですね。ただ、これをつくった頃はけっこうマジメだったんです。たとえば身長より高いところから落ちたら、足がグキッとなるでしょう?

はい(笑)。

宮本

そこで、身長の1.5倍くらいの高さから落ちると死ぬようになってるんです。でも、さすがにそれくらいで死ななくてもいいんじゃない、ということでつくったのが『マリオブラザーズ』で、いまや身長の5倍くらいの高さから落ちても平気な顔をしてますからね。

マリオがジャンプするたびに、足がグキッとなったらゲームになりませんからね(笑)。

宮本

けど、『ドンキーコング』は1段目から落ちると死んでしまうので、そのようにマジメにつくられたところも楽しんでほしいですね。

(第2回は『バルーンファイト』です。お楽しみに)

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